2025年10月13日、夢洲万博が終わって、「夢洲万博ロス」なんて言葉も出ているが、私も少しだけ寂しさを感じている。
といっても たった2回行っただけなので何も知らないし、パビリオンも2つしか入っていない。
そう、別に感動はしていないのだ。しかしながら、あの会場の熱狂を報道ででも もう少し味わっていたかった。
ふと、「1970年の大阪万博って、どんな雰囲気だったんだろう」と思った。
今のように便利な時代じゃないのに、あれだけ盛り上がった理由が気になって、
少し調べてみた。
83万人が訪れた日──1970年大阪万博の入場者数に驚く
一番驚いたのは、入場者数。
1970年9月5日、なんと1日で83万5832人が会場に入ったという。
東京ドームの満員が16回分。
夢洲で「今日は13万人で混んでるね」なんて言ってたのが、まるでかわいく思える。
総来場者数を比較すると
・1970年: 6000万人
・2025年:2900万人
行った人は分かると思うけど、やっぱり凄い!! 2倍!!!
数字だけでも圧倒されるけど、「それだけの人が未来を見に行った」という事実に、胸が熱くなる。おそらく「月の石」以外に何があるのか知らない!な感じだろうか。
万博へのアクセス──電車、バス、徒歩、そして気合
当時は北大阪急行が臨時延伸され、阪急や地下鉄御堂筋線もフル稼働。5分間隔で運行していても間に合わない計算だそうだ。
電車だけでは間に合わず、駐車場は朝から満車。
バスも渋滞で動かず、最後はみんな歩いて会場へ向かったらしい。
私の祖父母は車で行ったそうだが、日本の高速道路これだけしかできていないのだ。日本中から6000万人来たそうだが、鉄道が多かったと思われる。

スマホも地図アプリもない。
頼りになるのは紙の地図と、人の流れ。
想像するだけで、すこしノスタルジックな気持ちになる。
帰れない夜─1970年大阪万博の混雑と野宿
83万人が一斉に帰ろうとして、駅が完全にパンク。
終電を逃した人が続出して、会場に約5万人が取り残されたそうだ。
そのうち5000人は芝生や階段で野宿。
夢洲駅でも大混雑なのに、どのようにして過ごしたのか知りたいです。
今みたいにスマホもない。
誰かに「遅れる」と連絡することもできず、ただ夜を過ごす。
不便だけど、なんだか人間らしい時間だなと思う。
昭和の人たちは強い。
月の石を見るために並ぶ──昭和の情熱
一番印象的だったのは、NASAの月の石。
アメリカが持ち帰ったその石を見ようと、長蛇の列ができたという。
何時間も並んで、ただ一瞬見るために。
夢洲万博にも火星の石があったそうだが、興味を持たない私、そんな自分がなんだか寂しい。
今ならネットで検索すれば写真も動画も見られる。
でも、昭和の人たちは「本物をこの目で見る」ために足を運んだ。
その熱量、ちょっと羨ましい。
昭和の万博と令和の万博──便利さとは
暑くて、混んでて、帰れなくて。
それでも人が集まったのは、「未来を見たい」という純粋な気持ちがあったから。
1970年大阪万博には、今の時代にはない熱気があったのだろう。
私の夢洲万博は、ずっと快適で便利だった。スマホで混雑も見られるし、キャッシュレスで並ぶ時間も少ない。でも、どこか物足りないのは、少し不便でも行きたいと思わせる情熱が薄れているからかもしれない。
西ゲートにあるコンサート会場でオタクが踊っていたのを近くで見てた。傍から見れば変わった人が体を振り回してオタクダンスをしているように見えたが、私にはない熱量が感じられた。なんだか羨ましく感じた。
デジタルより人間味があり良かった。
未来への余韻
夢洲の帰り道。
人混みのあとに感じる静けさの中で、ふと1970年の空を想像した。
帰れない夜を過ごした人たちは、どんな気持ちで夜明けを待っていたんだろう。
便利さの向こうにある、あの時代の熱。それを少しだけ、今の自分も感じてみたいと思った。
これからは不便さを幸せに、それくらいの気持ちで生きていきたい。