親の金銭負担が一気に大きくなる大学への進学、バブル崩壊後は大学進学を諦める人も多かった。
私の両親はお金が無かったにも関わらず大学進学に大賛成してくれた。
もちろん日本育英会の奨学金に助けられた一人です。
しかし最近、奨学金の返済が出来ない人が多くて問題になっているので、古いですが私の返済完了したことについて記載します。
大学4年間で借りた金額
調べると現在の貸与金額も私の時代である1995年と変わりは無い
私の貸与金額は5.5万円/月でしたので、卒業時には5.5万×12か月×4年=264万円である。当時返済時は「高いなー」と思っていた。
今の学生は高校時代から借りている人、大学院まで借りている人がいて返済総額600万や1000万もいます。
新卒で返済が始まるとかなり苦しいと思います。もし正社員でなく契約社員など手取り15万円くらいで一人暮らしとなると返済続けれるかギリギリのラインとなるだろう。利子有りタイプなら尚更です。
ちなみに海外でも学生ローン問題はあり、60歳過ぎてもローン返済している人も多いです。決して日本だけに起こっている事ではありません。
簡単に借りられる一方、返済は長期にわたります。ご利用は計画的に!
3 million senior citizens in the US are still paying off their student loans - Business Insider
あらためて、競争倍率も下がり大学進学率50%以上となりました。偏差値50位の高校なら70%位進学してもおかしくない時代です。
経済的な問題がなければ就職、給料が有利になるよう進学を考えますが、一度奨学金返済シミュレーションをして無理と思ったら進学は諦める判断力が必要だと思います。
私の新卒収入と完済までの期間
超就職氷河期のである1999年、無事に小さな会社に就職して独り暮らしをしながらの返済が始まりました。
返済金額は月2万円。
初任給の手取り18万円から20万円だったので今の新入社員と変わらない。
会社から家賃手当てが4万円あったとはいえ、返済しながらでも年間100万ほど貯蓄できていたから優秀ではないだろうか。
スマホもない時代、かなり節約していたであろうが苦痛に感じたことは無い。酒、タバコ、パチンコなど一切の無駄遣いはしなかった。楽しみといえばバイクでツーリングしてキャンプをする事くらいです。その趣味は今でも継続中です。
別に貧しい生活でも無くても27歳で結婚するときには300万円以上ありました。
さらに、結婚したら貯蓄も一気に増えていきました。
本当に子供がいないときは貯蓄しやすいのは間違いないです。
妻は正社員ではなかったが年間手取り200万円ほど収入があった。
私の収入だけで生活できるので、子供が出来て専業主婦になる頃には1,000万円以上越えていました。
学生時代からお金に苦労していたので、余裕ある貯蓄ができても軽自動車にしたり質素な生活を心がけました。
ただ今振り返れば、貯蓄では無く積極的に投資するべきだったと思います。
余裕があるときに投資をして、相場に慣れておくこと、世界の経済にアンテナを張ることはとても人生を豊かにしてくれると思います。
タラレバですが、売らずに持っておけば「億」を越えていた銘柄が2つあります。相場に慣れていなければ握力が弱く難しいですけど…。
返済の話に戻しますが、奨学金はお金のリレー方式なので、一定の期間は毎月返済しなければならない。昔は10年くらい経過しなければ一括返済できませんでしたので、その時期がきたところで残金を完済しました。
33歳で完済と無理のない返済だったと思います。
奨学金していた周囲でお金に苦労している人をみてアドバイスすると下記になる
- 大学進学時に返済について考える
- 大学院卒は行く必要があるのか?(就職活動に不利になることがある)
- 就職後は節約をしてお金の計画をしっかりと計画管理する。無理に必要のない車を購入しない
- 実家から通えるならその時にしっかりと貯蓄する。
- さらに言えば貯蓄よりも投資もしておくこと、銀行預金はリスクです。
奨学金なしでは大学に行けなかった私
父親は平成1年に退職して自営を始めました。
その数年後に倒産したので幸運でしたが、バブル絶頂期の1988年に倒産するって相当業績が良くなかったのでしょう。
私が公立高校在学中に妹が私立高校に入ったことでさらに厳しさを増しました。しかし当時そんな貧乏な感じは一切ありませんでしたし、そんな素振りを見せなかっただけで現実は厳しかったそうです。
お金か無いのに大学受験失敗
高校3年で普通科にいた私は、行きたくもない経済学部、商学部を受験していました。その数8回で受験代だけで8×3.5万円=28万円
本当に申し訳ない...。
親には25年経ったいまでも感謝している。これだけ受験して落ちたのに何も言われなかったのですから...。
普通は怒ると思うよ
なぜ何も言わなかったのか不思議なくらいです
何とかなると思っていたのだろうが、まったく手ごたえもなく惨敗でした。
何が原因か?
答えは簡単、私は理数系に行きたかったのに先生に強制的に文系に行かされたことです。
そこで行動に出ました。「浪人して理系に行かせてくれ!」と親にお願いしました。
すると親は「わかった」と、また理解してくれました。
ここからほぼ0から理系の勉強が始まりました。
1994年、私の高校卒業後の進路と言えば大学、専門学校、就職と今と変わらないかもしれない。大きな違いはインターネットが無いことです。
すなわちググれない。高校生が世間について調べることが出来ないので目的もなく大学進学していました。
もう少し世間を見てから就職先を決める。そんな余裕のある進路選択ができれば良いのに…と思います。
私はやりたかった建築系に行くために理系に変更して猛勉強の末、偏差値30代から60近くまで上げることができ、予備校でも奇跡の成長と言われました。
ほんと、人って興味があれば成長することができると実感し、今でも当時の努力を忘れることはありません。
現在、子供は小学生と中学生です。まもなく自分でやりたいことが見つかるかもしれません。そのときお金を理由に協力できない事がないように資産運用もしてがんばります。
もちろん子供にもお金について教えるつもりです。第一弾としてコロナ給付金の内子供に3万円づつ渡しました。
「月1000円を株に投資するから銘柄を選ぶように」指示しました。
選んだ銘柄は以下のとおり。
小学5年の息子「Amazon」
中学3年娘「アメリカのマクドナルド」「JR東日本」
娘は月に2千円していますが、その分投資期間は半減します。
これで儲けた損したの競争を教えるのではありません。ドルコスト平均法の経過を教えたい実験です。
インフレになったときに貯金しか知らない子供に育たないように教えていくつもりです。
また、結婚してから家計簿も付け続けてますので、収入ではなく支出についてまとめたいと思います。